広島高等裁判所 昭和41年(う)313号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕論旨は要するに、本件は被告人に業務上の過失がないので罪とならない、原審が有罪の認定をしたのは事実を認識しもしくは法令の解釈を誤まつたものである、というのである。
記録および証拠によれば、本件の事故は、被告人が昭和四〇年九月三〇日午後八時二〇分ごろ、普通乗用自動車を運転し、南方から北進して広島市土橋町四番三号先の通称小網交差点にさしかかり、同所を右折東進しようとして、時速約一五ないし二〇キロメートルで同交差点を南北に通ずる路面電車軌道を横切りその右側道路に自車前部を進出させた際、北方から同交差点を直進して来た田川昂運転の自動二輪車を10.55メートル手前で発見し、直ちに急停車の措置をとつたが間に合わず同車を自車左前部に衝突させて同人を転倒させ原判示傷害を負わせたものであることを認めることができる。
そこで、本件事故につき被告人に業務上の注意義務を欠いた過失があつたかどうかの点について考察する。自動車の運転者が交差点で右折しようとする場合、単に自車を方向転換させようとする右方のみならず前方(左方)の交通状況に十分注意し、安全を確認して進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務のあることは原判決の指摘するとおりであつて、ことに、交差点において直進し又は左折しようとする車両があるときはその進行を妨げてはならないことは道路交通法三七条一項の明規するところである。しかし、本件交差点のごとく信号機の表示する信号により交通整理が行なわれている場合、同所を通過するものは互いにその信号に従わなければならないのであるから、交差点で右折する車両等の運転者は、通常、他の運転者又は歩行者も信号に従つて行動するであろうことを信頼し、それを前提として前記の注意義務をつくせば足り、特別の事情のない限り、信号機の表示する信号に違反して交差点に進入して来る車両等のありうることまで予見して、このような違反車両の有無にも注意を払つて進行すべき義務を負うものではない。これを本件についてみるのに、被告人の司法警察員に対する供述調書によると、被告人は吹田の運転する自動車に追従して本件交差点にさしかかり、同車に続いて約五メートル後方を時速約一五ないし二〇キロメートルで右折を始め、交差点の中央部に進み、自車輪が電車軌道を過ぎたところで10.55メートル前方から直進して来る単車のライトを発見したのでブレーキをかけたが同車と衝突した、それまでにも前をよく見て進んでいたが単車の方からの車の流れは一時とだえ、先行の吹田の自動車がすでに右折を終り交差点東側の横断歩道に進んでいたころ右単車の接近して来るのを見た、というのであり、被告人の検察官に対する供述調書によると、右直進車は黄の信号で交差点に進入して来た、というのである。当時被告人の運転する自動車の助手席に同乗していた証人青木順一は、原審公判廷において「被告人の自動車は初め青の信号で交差点にはいり、その中央部で吹田の自動車と共に停車し、正面から来る車が通り過ぎるまで待つていた。それが通り過ぎてから吹田の自動車が右折し、被告人の自動車も始動を起そうとしたとき、被害者の単車がやつて来た。被告人の自動車が右折しようとした時南北信号はすでに黄に変つていたと思う。」旨供述し、先行自動車の運転者である証人吹田幌は、当審公判廷において、「自分の車が交差点にはいる時には信号は青になつていた。交差点内で右折しようとして東西の信号待ちのため止まつている先行者の後に自車をつけ、被告人がその後に車をつけていた。先行車が動き始めたので自分も始動を開始した時にはもう東西の信号は青であつた。右折の際一応北側を確認したが、北側には車が一斉にライトをつけて止まつていた、東西の信号が赤でも南北の交通がなければ右折できるが、当時北から南に向う車が続いており、東西の信号が赤のままで右折しうるような状況ではなかつた。」旨供述し、これらの供述を採る限り、田川昂は南北青の信号が終り、少なくとも黄に変つた後に本件交差点に進入したことにならざるを得ない。これに対し、証人田川昂は、原審証人尋問調書および当審公判廷において、南北の信号が青の時に交差点にはいつた旨供述しているので、同証人の供述を検討してみるのに、同証人は時速三〇キロメートルぐらいの速度で交差点にはいつてから被告人の自動車が南側横断歩道の手前(原審検証調書添付図面(ハ)点)を進行しているのを発見し、右発見地点(同(ロ)点)から約二メートル進んだ地点(同(ロ)点)で約六メートル前方を右折しようとする被告人の自動車を認めた、というのであるが、右供述に従えば、時速約三〇キロメートルで直進する田川の自動二輪車がわずか二メートル進む間に、同交差点を右折する被告人の自動車が少なくとも二〇メートル以上進行したことになることは右検証調書および司法警察員作成の実況見分調書各添付図面記載の検尺に徴して明らかであり、そうだとすれば、被告人の自動車は田川の自動二輪車の速度の十倍を越える速度で進行しなければならないことになり、これは、明らかに不合理であるといわざるを得ない。のみならず、同証人は、被告人の自動車が右折の合図をしていることも被告人の自動車に先行する右折車のあつたことも認めなかつた、というのであるが、被告人の自動車が右折の合図を怠つていた形跡は認められず、また、被告人の自動車の直ぐ前を吹田の自動車が右折進行していたことも証拠上明らかであるから、同証人が前方をよく注視しておればこれらの事実に気付かぬ筈はなく、この点に関する同証人の供述は、同証人の前方に対する注意が十分でなかつたことを窺わしめるのであつて、以上の点からすると同証人が青の信号で交差点にはいつた旨の前記供述は必ずしも信用することができない。本件事故現場の実況見分をした警察官である証人清原啓一の当審公判廷における供述によれば、本件交差点は交通頻繁でラッシュ時をやや過ぎた本件事故発生時刻ごろでも車両の交通が多いため、南から北へ進む車が青の信号で交差点内にはいり右折しようとして中央部に出ても南北の信号が赤にならないと右折して東西道路にはいれない状況が多い旨前記証人吹田幌の一部供述にそう供述をしており、被告人の自動車に先行する吹田の自動車が右折して東西道路にはいることができたのは、すでに南北青の信号が変り南進車が交差点の手前で停止したからではないかとも考えられ、このことは、被告人の司法警察員に対する供述調書中衝突後運転席のドアを開け車から降りようとしたら反対方向の車が流れ出したのでドアを閉めて車が通り過ぎるのを待つて下車した旨の供述録取部分とも照応するものであり、これに反し、田川の自動二輪車が本件交差点に進入した際他にも同様に交差点を南進する車両等があつたというように田川が南北青の信号を表示している間に適法に交差点にはいつたことを推認せしめる資料も存しないのであるから、以上の考察からすると、被告人の前記供述はあながち排斥することもできず、結局被告人の供述するように、田川は南北の信号がすでに黄に変つているのを無視して本件交差点に進入したのではないかという疑問を払拭することができないのである。してみると、被告人が先行する吹田の自動車に続き右折して東西道路に進出しようとするにあたり、田川のごとく信号を無視して南進する車両があり、これとの接触の危険があることまで予見して、南北青の信号が変つた後に交差点にはいり前方(北側)から南進する車両の交通状況に十分の注意を払わなかつたことをもつて直ちに被告人に自動車運転者として責むべき過失があると断ずることはできない。本件事故につき被告人に業務上の注意義務を欠いた過失があるとして有罪を認めた原判決には事実の誤認があり、その誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。論旨は理由がある。(寺田輝治 浅野芳朗 畠山勝美)